書評『NAMIKO または、1990年のフール・オン・ザ・ヒル』8ミリフィルムのように、記憶は静かに再生される。
短編小説『NAMIKO または、1990年のフール・オン・ザ・ヒル』は、1990年の福岡を舞台に、過去と現在、現実と幻想、恋とカルチャーがゆるやかに交差する一人語りの物語。
語り手・日下部了は、35歳。広告代理店を辞め、遺産を相続し、“丘の上の眺めのいい部屋”で、過去の記憶と日々の生活を綴るようにして物語が進む。
彼の人生には、「ナミコ」という名の3人の女性が登場する。
今を共にする陽気で愛嬌のある波子。かつての淡い恋としての那美子。そして、自主映画の中にだけ存在する、幻のような“未来のNAMIKO”。
それぞれのナミコは、彼の青春と劣等感と夢の象徴のような存在だ。
言葉が描く、映画的な人生
本作は明確なストーリー展開よりも、記憶の断片やカルチャーへの言及がリズムをつくる、非常に「映像的」な小説である。
ウディ・アレンの『アニー・ホール』、ジャン＝リュック・ゴダールの映画、ビートルズの名曲『フール・オン・ザ・ヒル』、そしてヴォネガットの『青ひげ』──
文学、映画、音楽という“引用”のパッチワークの中で、語り手は自分の人生を編み直していく。
モノローグはユーモラスで、皮肉が効いていて、それでいてどこか切ない。
たとえるなら、古びた8ミリ映写機から音もなく流れる、思い出だけのセミ・ドキュメンタリーだ。
憧れと、妄想と、和解
『NAMIKO』には、“何かが起きる”ような劇的なプロットはない。
それでも読者の心を揺さぶるのは、語り手が一貫して自分の「過去の夢」と「今の孤独」に向き合っているからだ。
青春のすべてを「女の子と映画」に捧げてしまったような不器用な男が、30代半ばになって、ようやく人生を“ひとつの小説”として語りはじめる。
彼が語る「理想の女性」「少女時代の記憶」「叶わなかった夢」には、あまりにも私的な幻想が漂うが、それこそがこの物語の核でもある。
『NAMIKO』は、人生の“すべてを説明しきれない断片”にこそ物語が宿ることを教えてくれる小説だ。
まるで使いかけのフィルムロールのように、静かで、やさしく、少し滑稽で、どこか泣きたくなる。
読了後、誰もが「自分にとってのナミコ」を思い出すだろう。
書籍紹介
出版社：熊日出版
定価 ：本体900円+税
ISBN-10：4911007109
ISBN-13：978-4911007105
